高辻 修長 たかつじ おさなが
   

春夕
ちる花も 風をきまりて
静かなり 野寺のかねの
いりあひの聲
春夕
散る花も 風を極まりて
静かなり 野寺の鐘の
入り合いの声
21.2p×18.2p


天保11年11月29日(1840年12月22日)生〜大正10(1921)年6月20日歿
 明治時代の華族(旧公家)、子爵。京都生まれ。高辻以長と知子の子。幼名は興麿。高辻家はもともと菅原姓で、漢籍を扱う紀伝道の家。安政5(1858)年、19歳で少納言に任じ、万延元年12月4日(1861年1月14日)、世襲の文章博士となる。
 慶応2(1866)年8月朝政改革・征長軍解兵の建言に加わり差控を命ぜられる。許されてのち、慶応3年6月より明治元(1868)年夏ごろまで明治天皇に漢籍を進講した。2年より17年まで侍従。5年外遊中にアメリカで岩倉使節団の随行を命じられ、帰国後ふたたび侍従。17年6月明宮(のちの大正天皇)御用掛となり明宮の教育を担当。のち東宮亮、皇太后宮亮、東宮侍従長(30〜35年)、宮中顧問官等を歴任した。

推奨サイト
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